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なんでこんなこと書きたくなったのか、よくわからないけど、とりあえずこれを書かないとアマモルは終わらせられない気がしたので、書いた。
ほい。アマモルはこれにて終了です。 もう雨水は漏らさない。 (で済むといいな。ぼそっ) なんか、写真のアップのしすぎなのかなんなのか、容量がやけに小さくて不満なので。 また、たぶん新しい業界で愚痴をこぼしたくなって、裏ブログやることになるとおもいますから、知りたい人は直接会ったときにでもいってください。 # by chi-cot | 2006-04-02 00:32
あっというまに最高学年。
就活でリーダーミーティングにいかれない、という雲行きの怪しい幕開けをむかえる。そうしたことによって、100部ちかくの原稿の講評を一人でやるはめに。いや、どっちにしろ自分でやるという選択をしたに違いはないのだが。 春、Cさんにむりに補佐をおねがいする。かのクラスのドアをあけたら、異世界。仲良し大作戦をむりやり強行する。よけいうるさくなって真剣に悩む。学級崩壊という言葉が頭をよぎる。スカイプでなぐさめてもらって、なんとか生徒たちを信じようという気になる。 もうひとつの校舎は校舎でたいへんなことになっている。50人+30人 とか。ビビりながらやっていたら、あまりの登録人数の多さに、ほかの現代文の先生から大目玉をくらう。講師室でいじめられて落ち込んでまたCさんに泣きつく。 夏、いつもどおり、季節講座にたくさん出講する。死亡理由書のひとがぜんぜんたりないので、私大から国公立から早慶まで、なんでもやさんになる。内定先のバイトとあわせて、二十ウン連勤をこなすことになる。 中島ビルデビュー、四ツ谷16時間滞在などは、このときに経験。たまさんとちひろさんとS村さんとやたら会っていたこと以外は、ほんとうに、記憶が曖昧である。 ひたすら、楽しい夏だった。わがままを言って、みんなをオールさせたこともあった。このころから、卒業したくない病発病。この夏が最後だということを認識するたびに落ち込む。O校に出講後、M山I藤K林という素敵すぎるメンツで原宿で光麺たべてJ校に移動し、F原とマッサージ→カフェる という楽しすぎる一日を過ごして余計欝が酷くなる。たまさんCさんFちゃんと沖縄にもいって、余計幸福で不幸な自分を実感する。運営がうまくいかず、夜通しでスカイプして対策を考え、よけい意識が朦朧とする。スカイプとメッセをしつつ、やはり夜を徹してたまさんやCさんと死亡理由書の「はじまりのながれ」や「引継ぎ用紙」を作っていたが、私一人が途中で寝た(!)ことはいまだに語り継がれている。 このころ、ひどい言動をたてつづけにして、Cさんに怒られる。そしてこのころから、よく泣くようになる。しかもスカイプで。 夏から秋のあいだは、とにかく生徒によばれるかぎり面接を組んだ。必要としてくれる人がいると思うと、嬉しくて嬉しくてしかたなかった。その反面そのひとたちを失うのだとおもうと、不幸にもなった。 冬、死亡理由書はひとだんらく。出講をまだつづける。学級崩壊のクラスはどんどんよくなる。生徒が多すぎて大変だったクラスも、ほどよい人数になり、キャラが確立してくる。また、補佐をしていたクラスの優秀さにめがくらむ。 冬の講座、最大に凹む。2005年が終わるという恐怖は、何者にも変えがたかった。J校では生徒と仲良しになれたのが裏目にでて、スタッフに注意をうける。また凹んでCさんにたよる。 年明け、このうえなく素敵な贈り物をもらう。いま読んでも涙腺が刺激されてだめだ。 さいごにはじめて、リーダーをやっていてよかったという実感をもつ。 # by chi-cot | 2006-04-02 00:22
3年生のことを思い出すたび、自分でもいまだに後悔ばかりが先に立ってしまう。
3ヶ月くらい、おでこの発疹が消えなかった。ゴハンもうまく食べられなくなった。 一部のCPの出講のしすぎが不満をよぶなら、と、リーダーミーティングで、リーダーは自分のクラス以外は出講しないという方向性をきめる。 なんだかワケがわからなくなって、もう一つ生きる場所を探すことにする。それでとある小さな劇団に通い始める。狂言の稽古もはじめる。優しい先生に恵まれて、体調を少しずつもどす。 はじめて、一年間クラスをもつことになる。このクラスには、とても優秀な子がいたので、すぐにHLクラスにあげてもらう。彼女は今年から活躍するよていだ。 まだ、火はきえていなくて、誰を信じていいかわからず、M田さんとM山に声をかけてもらうまで、どうしていいかわからなかった。表参道のカフェで相談にのってもらう。 それでさいごにCさんが救ってくれた。「クサい」以来、ほとんど話したこともなかったのに。このときはじめて、Cさんとお近づきになる。 しばらくして、ほとぼりは冷め、私のまわりにあったトラブルはいちおうはおさまったかのように見えた。(ほんとうはちっともおさまってはいなかったのだけれど) ところが夏、最大のピンチ。たくさん出講していたところに、祖父、危篤状態になる。Cさんがたくさん出講をかわってくれる。尿道に管を入れるまでになっていた祖父だったが、ギリギリで立ち直る。病院が四ツ谷にあったから、死亡理由書→病院 病院→死亡理由書 なんてのもずいぶんやった。I本さん、Cさん、M田さん。私がギリギリでいたときに、みんなが助けてくれた日々、いまだにありありと思い出すことができる。 Y野があまり出講しなくなる。たぶんわたしのせいで。 そのまま、就活がはじまる。狂言の公演もあって、ほとんど仕事に行かれなくなってしまう。 この年のクラスは、ぜんぜんうまく運営できなかった。今でも、とても心残りだ。 # by chi-cot | 2006-04-01 23:56
K岡さんが去ったあとで、恩恵を受けられなくなって、まっさきに干されるんじゃないかとビクつきながら出講する。
ところが出講数を減らされることは幸いにしてなかった。入れたところに出講させてもらうことができるようになり、予定がうまくくめるようになったために、サークルと作法のかねあいができるようになる。 Y野とともに、キックアウトなどの幹事を率先してひきうける。が、店のセレクトに失敗する。 このあたりから、少し暗雲がたちこめはじめる。 出講数は減らない。この時期は作法にとってもつらい時期で、講座数が減り、生徒の人数も少なくなっていたが、なんとかいれていただくことができている。 夏、いつも通り。死亡理由書は、前年度よりもっと使っていただくことになる。ピンポイントをうけまくって、サークルとはなれがちになる。そして完全に作法を優先するようになる。 ところが、ピンポでぶっちをされすぎてキレてしまい「もう二度とピンポの依頼は受けません」とあろうことか全体ミーティングの感想用紙に書いてしまう。 11月、リーダー試験の折、そのことが原因で、I本さんと呼び出しをくらう。土風炉で、ギリギリいいながら飲んだ熱燗の味、いまだに忘れられない。 冬にリーダーデビュー。いまの1年生のうちある人がこの講座をうけていた。Y井さん、たまさん、T田さんという大御所に助けられまくってやっと初講義を終える。リーダー向いてない、と確信して凹む。反動でCPを物凄く楽しく感じる。 ところがこのころ、なぜかある方向から、批判をうけるようになる。私が、上から不当に高い評価を得ているのではないかという不満らしい。否定はできないが、だからどうしろといえばいいんだとこちらもキレてしまう。 この年の3月は、そんなふうに歯切れのわるい終わり方をした # by chi-cot | 2006-04-01 18:33
チェアパーソン1年生になる。
研修一回で、K林さんという方とはじめて出会う。何も喋れない。でも最初だから多めにみてもらえるんじゃないかなんて甘い気持ちでいる。 失敗をしたのがこのクールの再執筆。1時間遅刻をした挙句、またハンドリングできない。その場で喋ったことばが「クサい」のたった一言。あり得ない新人である。このときのK林さんこそ、その後私がもっともお世話になることになるCさん。 幸いなことに当時の採用試験は2クール目。まんまと受からせていただく。このときのCPがいまだに誰であったか、思い出せないのだけれど。T添さんだったようなちがうような・・・ムムム。ともかく、7月6日に合格のメールをいただく。季節はもう夏。 調子に乗って夏の出講希望をほとんどいれたら、ちょうど人が足りていなかったのかなんなのか、ほとんど通ってしまう。たしか全部で10講座くらいだったかな。論文力も2ついれていただいて、あの夏は物凄く稼いだ。講評のダメだしをFちゃんにお願いして、よくいろんな校舎のちかくのカフェやらレストランで課題文ディスカッションをしていた。Y野とFちゃんと私は「3バカ」とかいわれて、しょっちゅうひとくくりにされていた。しかし3人のうち、イベントごとの幹事を実際にこなせていたのは、いつもFちゃん一人だったように思う。いまさらだけどごめんね。 またこのころK岡さんと仲良くなる。かなりの恩恵を受けていた、と今になって思う。K岡さんと会わない週はなかった=K岡クラスによく出講させていただいていた。ただ、彼には「すぐ干されるぞ、入れなくなったらそれは自分の実力がないせいなのだから、たゆまず努力せよ」というCPとしての基本を叩き込んでいただいた、という点で感謝している(マジメなハナシ)。 死亡理由書にはじめてよばれたのも夏。フル出講で、最後の最後までつかっていただいて、本社の方と仲良しになる。 また、箱根に合宿にいって、I本さんと仲良くなる。 以後、出講をしまくる。MくんN本くんのいたクラスにはほぼ毎週よんでいただく。J校、S校の先生のクラスにも毎回出講。S校では記念すべきSDJとの出会いがあったが、関係のない話をしていて先生に怒られる。以後S校から遠ざけられ、J校にひきこもる。 一つ出講が減れば凹み、一つ増えれば調子に乗る。そんなことをずっと繰り返していたら、ほぼ毎週フル出講させていただけるまでになる。 冬も春もバカみたいにずっとずっと出講をしている。そして1年がおわる # by chi-cot | 2006-04-01 18:16
きのう、私がひとり死んだ。
一つ、MLを投げて、CPとしての私を、私は封印した。 5年間を思い出す。 17歳の2月。いきなり組まされた班にいたのはM山というつわもの。それまで文章を書くという行為ではっきりとした負けをつかまされたことのなかった私が、はじめて負かされたディスカッション。そのわきでCPをしていたのはI本さんだった。 17歳の4月。自分が負けたということを直視したくなくて、あえてべつの小論文講座に登録したがなやむ。考えて考えて、また負ける可能性がある、という恐怖におびえつつも、彼女のような頭の良い人とめぐり合えるチャンスなんてないし、やっぱりもう一度話がしたい、なんてうじうじしていたら、スタッフのはからいで勝手に登録変更がなされていた。とくに相談したわけでもないのに、なんて敏腕スタッフなのか。私はこの人にいまだに感謝してやまない。 初回は書き終えることすらできず、半泣きでワケあり班に組み込まれる。CPはS崎さんとO田さん。「論文むいてねえ」と思って真剣に悩む。けれどもうこのときには作法の魔力にかかっている。 次もメダルもらえない。ところが、3度目の正直とはこのことなのかなんなのか、そのつぎに「かけた」という妙な実感とともにいきなり金メダルをもらう。CPはK村さん。ディスのまわしかたがうまくて、楽しくて楽しくて、惚れそうになる。 次は銀。CPはT田さん。次は銅、CPはたまさんで、しゃべらせてくれて超楽しい!と思うも、祖母が死んで再執筆にいかれない。うう。ごめんなさい。つぎの銀のときはまたI本さん。スタッフに押し切られて中大のディスカッションイベントに借り出され、遅刻したせいで30分で演習をすませるはめになり、ノーメダル一回。このときはI田さん。ただ、このときの問題とそっくりなものが、入試本番で出てまんまと合格する。調子に乗ってつぎは金、M山と再びバトる。こわかったがものすごく楽しく、ただし議論が早く片付きすぎてディベートすることになった。H本さんとたまさんのWCPだった。つぎも金。しめのCPはM田さん。忘れもしない。CPのすごさを思い知らされた1回だった。いまだに、あのディスのさいごにM田さんの提示してくれた論点を覚えている。 18歳2月。講座が終わった瞬間に「CPになるにはどうしたらいいんですか」と控え室におしかける。さすがに先生もあきれながら、でも「そのうち連絡するから待ってなさい」といわれた。 3月、言葉どおりスカウトのお電話をいただき、有頂天。契約にはM山と一緒にいったところ、トイレで出会って仲良くなったF原と再会!運命をかんじる。 # by chi-cot | 2006-04-01 17:53
地元で住民票をとるところからスタート!
六本木にいき、バリ料理を食べて、森美術館。のち乃木坂まで歩いていって電車に乗り、表参道。クロスプロセスをお願いしてた写真を受け取って、帰宅。 家でゴハンを食べて、また外出。自由が丘でリバーサルのポジを受け取って、外苑前のビュートリアムでカットモデル。 日比谷線、銀座線、千代田線。一日で地下鉄乗りまくりです。どれも好きな路線だからいいんですけど。 うちのママンは若いころに赤坂の画廊ではたらいており、友達が麻布に住んでたから、青山とか六本木とかの地形は、わかっているらしい。ハヤリのお店は全然わからないけど、道ならわかるわよってあなたはタクシーの運ちゃんですか 私の生息地域もこんどから虎ノ門を中心とした地域に変わるわけですが。うちのママンは高田馬場とか新宿があまり好きではないらしい(馬場はきっぱりと「キライ」だそうだ)ので、私が自分のよく知ってるそっちらへんで働くことになって、安心したし、また共通の話題が持てそうだから嬉しいみたいだ。 あー願わくば、行くんじゃなくて住みたいぜ、港区。 # by chi-cot | 2006-04-01 03:27
ゴールデン街のお酒はひとを素直にさせる。
美味しかった。あのひとのつくるお酒は、なんであんなに美味しいんだろう。きちんとお酒のかおりがして、ふんわりとりんご酢の香りがする。大好きな先輩は、なにもかも私の考えていることはお見通しで、だからさいごに、ここにつれてきてくれたのだろう。実際、なんとなく、しっくりこないなぁというか、きれいにしめられていないなぁという気がしていたから、さいごに大好きなあのお店につれていってもらえて、よかった。 きのう、はじめて、先生と、朝まで飲んだ。先生はせいせいしているようにみえたが 「これでまた一つの時代が終わるね」 と、すこし不安そうに言った 私は笑って、 「でも優秀な後輩がいるんだから、なんにも心配することはないですよ」 なんて言ってみた 最後まで調子のいいことしかいえない生徒でごめんなさい。 最後に本当のことを言おうと思ったけど、やっぱり言えませんでした。 「何だかんだいって、たぶん、もう二度と、わたしはここには戻ってきません」 # by chi-cot | 2006-03-29 05:16
携帯を真っ赤に変えたら、
自分が色あせてみえたので アザでも作ってみようかと思ったのです。 vivid に 生きたい という 僕の手 に 赤く 大きな あざ を つくらん けれど、痛いのはやっぱりいやだったので、 代わりに つめを 真っ赤に 塗りました。 # by chi-cot | 2006-03-26 22:32
![]() 期限ギリギリだということに気づき、大学に卒業証明書をとってきた。 大学なんか、ほとんど通ってなかったのに、いざこうして去るとなると、バカみたいに寂しい。そんな自分の意味不明な感情が、制御しきれなくなって、ついには馬場歩き(これもいつもはしない。いつもはバスに乗るから)しながら、泣き出す始末である。 吹っ切れた、といっても、社会人になるのはやっぱり怖いし、ずっと学生ないしは自由人でいられればそれほど幸せなことはないだろうと本気で思う。でも、そうするべきではないということはよく知っている。 女の価値は、おおむね年をとるごとに低くなる(幸福な例外が存在することも認めるが、自分がそうであるとはまず考えられない)。そうやって、どんどん逃げ道が狭くなっていく中で、戦えるような何かしらの才能や技術を、私はいま持っていないし、今後も持つことができないだろう。だから、私は会社に入れてもらうのだ。ひとまず、鍛えてもらうために。生きるために。 これは、私が望んだ結果だ。大学に入る前は、好きなことだけして暮らせばいいやぁなんて思っていたから、そういう意味では、4年間で、地に足のついた考え方をするようになったのかもしれない。 さぁ、歩き出せ。後ろをむくことはない。 # by chi-cot | 2006-03-25 00:03
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